通訳・翻訳養成学校のISSインスティテュートでは、キャリアにつながるプロの語学力を養成します。

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ISSインスティテュート創立50周年記念「ISS講師からの応援メッセージ」第16回:田村安子先生(英語通訳者養成コース)

 

1966年、日本で最初の同時通訳者養成学校(当時の名称:アイ・エス・エス通訳研修センター)としての開設以来、アイ・エス・エス・インスティテュートは、第一線で活躍する通訳者・翻訳者を養成してまいりました。

 

創立50周年記念として、これからISSで学習を始めてみようとお考えの皆様や、ISSで学習中の受講生の皆様へ向けて、プロの通訳者・翻訳者として活躍されているISS講師から「応援メッセージ」をいただきました。本スクールブログにて、「応援メッセージ」を一つずつご紹介いたします。

 

通訳・翻訳訓練を始めてみたいけれどあと少しの勇気がでない皆様、学習を長年続けているからこその伸び悩みを感じている皆様、ぜひ、ご一読ください!

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「ISSと共に歩んだ日々」

         田村安子先生(英語通訳者養成コース)

 

 

私がISSに入ったのは1973年頃でした。当時ISSは新宿通りを挟んで今の場所の反対側、半蔵門寄りにありました。一階が洋画のギャラリーで、私はギャラリーの経営者だった画家について油絵を習っていました。あるとき、五階に通訳学校の看板が出ているのに気付き、上がって行きました。ちょうど下の娘が大学に入り、専業主婦としては子育て責任という表看板がなくなっていましたので、大学時代以来遠ざかっていた英語を学んでもいいと考えました。学校は五階のフロアだけで、右手に教室が一つ、左手に事務室という簡単なものでした。部屋で一人、入学試験を受けました。日本語で答える日本語の試験は問題が数枚、文章の他にことわざなどで、漢字で埋っていました。英語は簡単な英文の日本語訳と、カセットテープでニュースを数分、終わるといくつ話題があったか聞かれました。「三題」と答えると八題だったということでした。配点は日本語も英語も同じで、日本語がほぼ満点、英文の日本語訳で積み増して、辛うじて合格しました。

 

授業の構成は初級、中級、上級各一クラス、生徒はそれぞれ20人あまり、先生二人が担当でした。私は午後の初級クラスに週二回通いました。クラスメートは大学生や通訳志望の20代の女性が多く、私はず抜けて年長でした。教材は今と似たようなもので、生徒が訳し、先生がフィードバックを行います。私は経済や法律が好きで学者の論文などを読んでいたので教材は面白く、授業の後、娘のような年代の女性とお茶を飲むのを楽しんでいました。

 

中級クラスの女性の先生は20代で通訳教育を受け、30代で第一線で活躍という理想の経歴でしたが、私の年齢を聞いて「40歳になった自分なんて考えられない」と言われました。普通ならショックを受けるかもしれませんが、私は20歳の頃、24歳と聞くと年輩に感じた覚えがありましたから気になりませんでした。もう一人の男性の先生は60歳に近いビジネスマンで、私の文のまとめ方と日本語訳が良いと言われました。捨てる神あれば、拾う神ありでした。上級クラスになり、ISSの創立に関わった女性で私とほぼ同年輩だった先生から、あなたは通訳になれるから頑張りなさいと言われ、心底驚きました。それから真剣に勉強しました。学期の後半ではブースで同時通訳の訓練を受けました。最後の試験の結果、上級クラスと中級クラスの先生方の合議で、一人だけ研修科に残ることを許可されました。研修科とは、上級の上のクラスで、好きな授業に出られるというもので、先生方の推薦が必要でした。許可証には「英語は多大な努力を要す」とただし書きがついていました。英語に優れたクラスメートは大勢いました。研修科に残れないと辞めていく人もいましたが、皆通訳になり、その後いろんな会議で顔を合わせることになりました。自信がなかった私の場合は、研修科入りがなかったら通訳にならなかったでしょう。ただし書きについては会議の現場を通じて真剣に向上に取り組みましたが、常に引け目がつきまとい、解放されるのに20年近くかかりました。

 

会議通訳になって数年して仕事が順調に入るようになった頃、ISSから講師として呼ばれ、若い生徒と付き合うことになりました。生徒は私が学んだ頃と異なり、会社勤めの傍らという人が多数になりました。企業側から派遣される男性社員が一時かなりいましたが、仕事の後の授業で、よく居眠りをしていました。宇宙飛行士の毛利さんがミッションに参加するため、アメリカに行く前には特別のプログラムが組まれて、教室で一対一で集中授業をしました。珍しく風邪をひいていた私は必死で声を出したのを覚えています。毛利さんは大変素直でした。

 

何も知らずに入ったISSは、日本で初めて開かれた会議通訳の養成校でした。地味に真面目に生徒を育ててきた学校だと思います。振り返ると二十数年顔を出してきて、通訳するとはどういうことか、私の考えのままに教えてきました。私がISSで学んだことは、言葉を通じて他者と共感するということ、言葉の枝葉にこだわるより相手の真意を理解することでした。加えて会議の通訳で得た技術を生徒に伝えようとしてきました。他の先生方がどのようにされたか分かりませんが、それぞれの先生から生徒が何を吸収するのか、生徒に任せるのが、ISSのやり方でしょうか。

 

言語を通じて人を理解するのは人間の特権です。人に対する共感を抱くことができ、人生が豊かになります。日本語は情緒に富み、また理論的です。また長い豊かな歴史があるので、日本語で育った人は他の歴史のある言語の豊かさを理解できます。言葉を通じて人生を豊かにする手段を提供してきたISSが50周年を迎えたと聞き、感慨がありました。学校のおかげで私の人生が楽しく豊かになりました。また生徒との交流を通じて学校に関われたことを感謝しています。

<禁無断転載>

 

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<田村安子先生のプロフィール>
国際会議や産業分野でのビジネスの合併を含む各種交渉、セミナー、国家間の通商、貿易摩擦交渉など、フリーランスの通訳者として幅広い分野で活躍中。アイ・エス・エス・インスティテュートでは主に上級レベルを担当。

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| ISS講師からの応援メッセージ | 09:00 |

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