先生方のおすすめする本が集まったISSライブラリー。
プロの通訳者・翻訳者として活躍されているISS講師に、「人生のターニングポイントとなった本」「通訳者・翻訳者として必要な知識を身につけるために一度は読んでほしい本」「癒しや気分転換になる本」「通訳・翻訳・語学力強化のために役立つ参考書」等を、エピソードを交えてご紹介いただきます。
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今月は、中国語通訳者養成コース講師、徳久圭先生がご紹介する『語学で身を立てる』(猪浦道夫著, 集英社新書, 2003年)です。
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語学に対して真剣に取り組んだことのある方なら、ページをめくるたびにいちいち頷き、付箋で本が膨れ上がるはずです。そして、「そうそう!この本に書かれていることは、語学の業界ではごくごく当たり前とされていることばかりなのに、一般に広く知られていないのはなぜだろう?」としみじみ思うはず。
通訳者や翻訳者が業務の中でやっていること、語学を少々かじっただけで翻訳「でも」やってみようかとなる心性、いわゆる「ネイティブ信仰」の落とし穴、英語という言語の独特さ、理想的な語学習得の方法、語学の「素質」について……。二十年近くも前に出版された本ですが、内容はほとんど古びていません。それだけ語学の本質は変わらないということでしょうか。
特に、通訳者や翻訳者を目指して学んでいる方に向けては、かなり厳しい言葉が並んでいます。
「日本語の文章表現力が不足している人は、翻訳の仕事をするにあたっては手の施しようがありません。(中略)私の経験では二十五歳以上の人で、日本語の表現センスが大幅に改善された例を見ないからです。(21ページ)」
「外国語がどのくらい習得できるかは、日本語がどれだけできるかにかかっている、といっても過言ではありません。(56ページ)」
「私はしばしば二流の通訳の人が、自分の勉強している言語を母国語とする国の地理や歴史、文化などについて、あまりにも無知なのに驚くことがあります。(73ページ)」
「私が教えた生徒の中には、語学のセンスがとてもよいのに、この雑学の知識が非常に浅く、即戦力となれない人がかなりいます。実にもったいない、残念なことだと思います。(85ページ)」
いかがでしょうか。私自身、通訳や翻訳を学ぶものとして身につまされる指摘ばかりです。さらに通訳や翻訳を教える立場としても、襟を正される思いなのが、こちら。
「熟年になると、自分が若い頃学んだメソッド、教科書や辞書に愛着があるので、どうしてもそれにしがみつきたくなります。現代は語学教育業界も十年一昔であり、どんどん新しい理論や優れた辞書が世に出されています。このような新しい情報に常にアンテナを張って、自分の中にどんどん取り入れていくフレクシビリティが必要です。(196ページ)」
ああ、耳が痛い。「昔取った杵柄」に寄りかかりがちな中高年にさしかかった私にとっては、とりわけ身にしみます。でも私は、このような語学や語学教育の特性に気づくことが大切なのであって、そういう意味ではこれらを「激励」として受け止めるべきだと思いながらこの本を読みました。
個人的には「英語の特殊性」に関する指摘を興味深く読みました。いわく「現在の英語は他の西洋言語に比べて著しく語形変化が少なくなっている」。
「こうして英語は、語形変化や活用による、主語や目的語といった分の要素を明確に表す方法や、動詞の人称や数を細かく表す方法を失ってしまいました。それを補うために、語順がやかましくなり、動詞にはまめに主格人称代名詞をつけることになりましたが、全体的にはただ単語を並べているだけという印象を受けるようになります。実際、動詞の活用の複雑なラテン系言語の話し手や、ロシア語やドイツ語のような格変化が複雑な言語の話し手にとっては、特にそういう印象が強いことでしょう。(77ページ)」
なるほど。私はいま仕事で使っている中国語以外に趣味で(というより「ボケ防止」のために)英語とフィンランド語という全く違う体系の言語を同時に学んでいますが、これは日々うっすらと感じていたことでした。例えば一番簡単な例でいえば、英語では一人の「あなた」も複数の「あななたち」も同じ
“you”
で表しますよね。そして猪浦氏は「そうした英語の特殊性を知らずに語学学習をしているとどうなるかというと、文の構造や論理を考えられなくなってしまうのです」と述べます。
ここだけを抜き出すと、すぐに「そんなことはない」と反論されそうですが、確かに文を論理的にとらえ、分析するという態度は昨今の語学学習で軽視されがちな部分かもしれません。いわゆる「訳読」スタイルの学習法も昨今はずいぶん評判が悪いようです。
でも私はフィンランド語を学んでいるときに、この論理的な分析(主軸となる動詞はどれか、時制は何か、格は何でどこに掛かっているか、単数と複数、可算と不可算などなど……)と、その分析的な態度ないしは感覚を身につける(つまり、毎回うんうん唸って文を見つめなくてもそれが体感できる)ことがいかに大切かということを悟りました。複数の語学を学んでみると、自分が慣れ親しんでいる語学にもまた別の側面が見えてきます。
最後にこの本からもうひとつ、私たちに向けられた警句を。
「語学ができる人は、しばしば自信過剰だったり、プライドの高かったりする人が多いのですが、つまらないプライドや見栄といったものは、特にこの仕事にはマイナスに働きます。(28ページ)」
語学の達人と呼ばれる方ほど「自分は○○語ができる」とか「ネイティブなみ」とか「ペラペラ」などという形容はしないものです。これからも謙虚に学んで行かねばと思わせてくれる一冊でした。
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徳久 圭(とくひさ けい)
武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。出版社等に勤務後、社内通訳者等を経て、フリーランスの通訳者・翻訳者に。
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