中国語翻訳者の串山と申します。ISSには十数年前に翻訳者養成コースの基礎科一番下のクラスから本科2まで通っていました。このたび中国マンガの翻訳について、この場をお借りして書かせていただくことになりました。何か皆様のご参考になる部分があれば幸いです。
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今回はマンガ翻訳の技術的な面を少し書いてみたいと思います。ただし、それほど経験があるわけではなく、前回触れた料理マンガ(結局、世に出なかった)の翻訳をしていたのが2017年の秋頃。その後、やはりネット上の翻訳者募集のコンペに応募して、マレーシア発の学習マンガ『どっちが強い!?』(原文は中国語)というシリーズの翻訳を担当することになり、多少はマンガ翻訳の経験を積んだものの、まだ理論的あるいは体系的に何か翻訳手法のようなものを整理できているわけではありません。今回の『如夢令(じょぼうれい)』の翻訳で実際に直面した困難や対処方法などから、具体的に考えていきたいと思います。
どの分野の翻訳にもいろいろと制約はあると思いますが、マンガの翻訳にもマンガならではの制約があります。また中国のマンガはセリフが横書きで、ページをめくる方向も逆になるため、場合によっては、その読み方に慣れていない読者も想定する必要があるかもしれません。
■絵に合わせる
マンガの中の文章はほとんどが会話文で、発言者の絵のすぐ横に吹き出しとして示されています。その発言者がどのようなキャラクターで、基本的にどのような話し方をするのかを考えるのはもちろん、発言中の表情や、口元が見えている場合には口の形に対しても、なるべく違和感のないセリフにしたいところです。映像と違って静止しているので、この口の形は話し始めだとも、話し終わりだとも、または途中のこの部分だとも解釈できるわけですが、なるべくなら違和感なく収めたいということです。
■吹き出しのサイズ
吹き出しのサイズも制約になります。一般的に、中国語を日本語に訳すと文字数が増える傾向にあると思いますが(内容により1.2〜1.5倍ほど)、絵とのバランスもあるので吹き出しのサイズはなるべく変えない方がいいと考えています。今回の日本側の編集部は月刊誌でもWebでも「すべての漢字にルビを振る」という方針のようで、そのスペースを確保する必要もあります。本作の物語序盤はとくに余裕のない吹き出しが多いのですが、ルビのことを考えると原文と同じ行数では収まりにくいと思い、一行あたりの文字数は多少増えたとしても、吹き出し内の行数は原文中国語よりも一行以上減らすことを目標にしました。
スペースに余裕のない吹き出しの具体例(とくに極端なもの)としては、第四話の3ページ中段にひょうたん型の小さな吹き出しがあるのですが、原文を見ると28文字の漢字(文章記号を除く)が隙間なく詰め込まれています。マンガの読者として読んでいたときにはあまり気にしていませんでしたが、いざ翻訳者の目線であらためてこれを目にしたときは、さすがにちょっとひるみました。文字を詰め込みすぎるのは読みにくいと思われますので、訳文ではかなり情報を圧縮し、最終的にはちょうど半分の14文字となりました。けっこうな削減ですが、原作がかなり先行している段階(第1部完結、約150話)で翻訳しているため、その後の展開や伏線を把握した上で、そういう思い切った判断ができたという側面もあります。
■改行の位置
セリフの改行位置にもかなり気を使っています。吹き出しの形状に合わせるということもありますが、より重要だと考えているのが、視覚的な読みやすさのために、各行の文字数をそろえすぎないということです。一般的な縦書きのマンガでもそうだと思いますが、行の文字数にばらつきがあった方が目線をうまく誘導できる(次の行に移行しやすい)ようです。
視覚的な読みやすさという点では、吹き出し内の漢字が偏りすぎないことにも気を使いました。漢字、カタカナ、ひらがなを組み合わせることができるという点に、アルファベットだけの英語や、漢字だけの中国語などと比較したときの、日本語の視覚的な読みやすさがあると考えられますが、なるべく偏りなく漢字を配置した方が、その長所がより生かされると思っています。
■吹き出しの種類
吹き出しの形自体が、その発言のテンションを表している場合もあります。これは配信サイトの感想コメントを見て気づかされた反省点でもあるのですが、勢いのある吹き出しに対して発言が冷静すぎるなど、後から読むと違和感のある部分がいくつか確認できます。原文どおりといえばそうなのですが、吹き出しの種類の方を変えるという選択肢も含めて、もう少し工夫すべきだったと思います。
仮説ですが、これには中国語と日本語における微妙な感覚の違いが関係しているかもしれません。例えば、一般の文章でも中国語と日本語では「!」という記号の使い方が微妙に違うと感じることがあります。中国語の方が、より気軽に「!」を連発している印象です。仮説をさらに続けると、漢字だけが並ぶ中国語を視覚的に読みやすくするための方法の一つとして「!」やテンション高めの吹き出しなどを多用する傾向があり、言語的に、その使用に対する敷居が下がっているのかもしれません。
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今回はここまでです。次回は、ルビを使った表現の可能性などについて考えてみたいと思います。当該作品の中国語版、日本語版は下記サイトで配信されています。
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串山 大(くしやま・だい)
ISS中国語翻訳者養成コースで翻訳の基礎を学ぶ。フリーランスの翻訳者、チェッカーとして10年ほど活動した後、中国語専門の翻訳会社にて品質管理を担当。2017年に再びフリーとなり、以後、実務翻訳だけでなく、角川まんが科学シリーズ『どっちが強い!?』など漫画作品の翻訳も手がける。
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